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港の風に包まれて

港に降り立つと、1年ぶりの「ただいま」に笑顔、握手、ハグで迎えられました。

相変わらず天気は悪いけれど、楽しい1日が始まりました。

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稚内からの1便のフェリーが濃い霧の中から見えた時、「おお!」ってなりました。そして「おしどまりYH」の旗が船上に!おおおっ!!!2便以降は、見送り、勢いつきました!(byくみ・・・コメント欄より転記

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前日の練習にも参加できず、ぶっつけ本番の第2便の見送りになってしまいましたが、島の青年達のギターの上達ぶりに驚きました。私達の歌と踊りを大切に継承してくれたことに感謝!

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2便、3便、4便・・・と見送る側の人数もだんだん増えていきました。

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楽しい時間はあっという間に過ぎていくものです。

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前日練習の場で島の人達が口々にこう話していたそうです。『ああ利尻島』・・・「歌えば歌うほどいい歌だなぁ!」

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なつかしいさぁ~、時がたっても利尻の空気は変わらないのかなぁ!(by原人

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お疲れさんでした。今一度、利尻の風と話してみたいなぁー!(byリュウさん

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初めてのお出迎え

霧の中にペシ岬のシルエットが、ぼんやり見えるような見えないような・・・

いやいや誰にも何も見えていない、瞼に浮かんでいるだけ?

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だんだん港の人影が鮮明になってくる・・・

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番屋の旗が見えてきた。隣でギターを持っているのは、まさかバカボン?

カメラを向けているのはくみさん?

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やっぱり!バカボン、シチハン夫妻だ!島の人達もいるよ。

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ただいま~~~~~~~~~!

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初めてお出迎えを経験しました。いいもんだなあぁぁ。

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☆☆☆ リシリーズサイト ☆☆☆






続・遥かなる利尻 

結局札幌から夜行バスで稚内へ、

稚内のフェリーターミナルで乗船券を買っていると昨年お世話になったフェリー会社の西村さんと1年ぶりに再会。

ここまでのいきさつを話すと「やっぱり船で行きなさい、ということなんですよ。私も10時の便で行きますから、後ほど島で。」と言われてしまいました。

そうだな・・・稚内を出港した時から、心は半分利尻に降り立っている、だんだん島が近づくと今も変わらず船内に流れる『島を愛す』、そしてボ~という汽笛の音、やっぱり、これこそ島の醍醐味ですよね!

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そして今回はもう一つ、昨日私達を苦しめた濃霧が粋な演出をしてくれました。

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遥かなる利尻

さあ、2017おしどまりの空の下へ・・・

靴ひも結んで、山コンブのギターを背負い、まずは今夜の練習から楽しもう!

ところが、そんなに甘くはなかった。

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千歳は晴れているのに何故?利尻は濃霧で着陸できないというのです。

初めて飛行機で利尻に降り立つことを少し楽しみにしていたのに・・・

結局、その後急に天候が悪化し欠航が決まりました。

この時点で今日中に利尻に行けないことが確定。

そう簡単にはたどり着けない場所なのだ、やっぱり利尻は遠かった。

行ってきます

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        こよなく利尻を愛する仲間たちの溢れる思いを

         両肩にずっしり背負って、今年も行きます!

        山コンブのギターと共に、おしどまりの空の下へ・・・

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元祖の思い

回想録を書いているうちに、色々な昔の情報が入ってきました。

1980年秋、野辺山でおしどまりYHの集まりがありました。250人の参加者を前に81年以降のリーダーを指名し、次の世代にバトンを渡しました。

ところが、誠に残念な事ではありますが、1982年以降、ある一部のヘルパーの横暴な振る舞いにより、おしどまりYHは1985年、協会から除名される事態に陥ってしまったのです。

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1980年代後半といえば、折りしもバブル経済の始まり・・・旅人の質も変わりYHの時代が終わってしまったのだと、つい最近まで思っていました。

しかし考えてみると、隣の礼文にはバブル期にも揺るぐことなく今の時代までタスキをつないできた『桃岩荘』があります。おしどまりYHにそれができなかったことが残念でなりません。

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横暴の中身はここで書けるものではありませんが、そんなことで大切に育んできたオリジナルの歌や踊りが消えてしまうのは悲し過ぎます。

そこで元祖メンバーが2015年、立ち上がりました。この年、「海の日のイベントで70年代の見送りを復活させたい。その頃の音源は残っていないだろうか?」と利尻から打診があり、島の人達があの頃の歌や踊りの復活を望んでいるのだということを知りました。2015年海の日には行けないけれど2016年には、きっと・・・ということで〝2016おしどまりの空の下へ”を立ち上げました。

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今年も、海の日には元祖メンバーの一部しか行くことはできませんが、来年こそはみんな一緒に、と思っております。


ゴエモン回想録~放浪記「利尻への長い道・2」

傷心の旅で訪れた沖縄を満喫していたある日のこと、

「ゴエモンさん、北海道から電話だよ。」突然竹富YHに電話が入りました。

「俺だ!田中だ!」・・・少し嫌な予感・・「これから来い!いいから来い!」南国ムードにどっぷり浸り、利尻のことなど忘れていたのに、矢継ぎ早の兄さんの言葉がグサグサ胸に突き刺さります。

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「桃岩荘を打ち破るのではなかったのか!あんたがリーダーでしょう!」

「ウニは美味いよ!美味いメシいっぱい食わせるから来い!」

「船賃、電車代も貸してやるから。」

・・・断る理由もないので、いざ、利尻!

あの時代ですから、竹富島から東京まで4日、東京から稚内まで夜行列車で2日、島に着くまで1週間の今では考えられない長い長い旅路です。

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気がかりは去年のヘルパーいるかなあ???・・・島に着き、港に降りても誰もいません。

YHに着くと受付の陰に昨年港でコンビを組んだ原人がいるではありませんか!

よ~っしゃ!『打倒!桃岩荘!』、おしどまりYH黄金時代の幕開けです。

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ゴエモン回想録~放浪記「利尻への長い道・1」

1976年、清掃登山を終え、東京に戻りました。利尻と東京生活の温度差になじめず、地に足が着かないまま、ただただ時が過ぎ、1977年を迎えました。

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とりあえず京都の東山YHに3か月ほど居候しました。(当時、全国の旅人の情報は京都のYHから発信されていました。)この時は傷心を抱えていたので、ワラジが波照間にいるとの情報が入ると、「自分もまあ、行ってみるかぁ~。」と軽い気持ちで大阪南港から船に乗り込み35時間かけて那覇に入りました。

2年前の沖縄海洋博の時、那覇の1ドルハウスで働いていたので那覇まで行けば何とかなると思っていたのですが、「海洋博も終わったし、4月では仕事ないよ」と言われてしまいました。

それならワラジのいる波照間まで行こうかと考えていた時、京都時代の知り合いとたまたま那覇でばったり会いました。そいつが「これから石垣島だ。」というので「まあ、石垣島でもいいか。」ということで便乗、思いがけず、竹富島に上陸したのであります。しかしここで金が尽き果てしばらく竹富島にとどまることになります。

朝は土方のバイト、夜は宿を兼ねて竹富YHのヘルパーとして島の説明やミーティング…利尻のことやワラジのいる波照間を忘れ、しばし南国の癒しを味わっておりました。

 



ゴエモン回想録~伝説の始まり

1976年6月おしどまり港、島に来て2週間、悶々とした日々が続いていました。

・・・まだまだユースの宿泊者もまばらだが、7,8月には宿泊者が急増する。100人を超えるホステラーに感動を与えるには、何かインパクトが足りない・・・悩んだ末にたどり着いた答えは、ちょうどその頃、ミーティングで盛り上がっていた「山コンブの「ああ利尻島』と原人が振り付けた『かっこいい奴』、これを港でやるしかない!」・・・でした。

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しかし最初の頃は利尻島民からは白い目で見られたり、「うるさい!」と怒鳴られたり、と散々でした。

やっぱり島の人達ともうまくやっていきたいなあ・・・とへこむこともありました。

そんな時、島民と私達との懸け橋になってくれたのが、島の子供たちでした。

港のはじっこで興味深げに見送りを見ていた子供たちにコーラを買ってあげるとすぐに距離は縮まりました。

そうして小学高学年の飢餓軍団も見送りに加わるようになると、徐々に島内で港の見送りが受け入れられていきました。

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7月には利尻中学・高校との交流に訪れた稚内高校のブラスバンド部へのお礼として『ああ利尻島」と『かっこいい奴」で見送ってもらえないかと頼まれるまでになりました。

流石に歌と踊りでいいのかなとも思いましたが、そこは校長・教頭そろってユースまで足を運んでのたっての嘆願、喜んで引き受けることにしました。

利尻中学・利尻高校とおしどまりYHのコラボで稚内高校を見送った時の島民達との一体感・感動は忘れられません。

このことが港の見送りの礎になったと信じております。

それ以降、島民達からも温かい目で見守っていただけたのではないでしょうか。

【2016年7月   伝説の見送り復活】IMG_0287.JPG

ゴエモン回想録~小さな旅

 1977年8月某日の出来事です。IMG_0507.JPG

当時、8月といえば連日180人の宿泊客を迎え入れ、田中屋の団体さんとYHのホステラーの見送り、毎夜、YHと田中屋で延べ4時間に及ぶミーティングでもうヘロヘロ、気が狂いそうな毎日でした。 そんなある日の朝、何気に皆さん意気投合・・・半日だけの旅に出ようと決めました。

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朝の見送りの後、YHを抜け出し、ヘルパー10人くらい(ゴエモン、キタロー、くみ、まき、キン、ハリマオー、エメロン、月光仮面、原人)でマイクロバスに乗り込み、島内一周の旅に出ました。

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姫沼で姫エビを採り、沓形では当時流行りの喫茶店FMに立ち寄りました。(喫茶店FMには利尻の風吹ジュンがいたのです。当時はホステラーが毎日沓形までFMツアーをする程の盛況ぶりでした。)

たった半日の旅でしたが、この小さな旅のおかげで9月までの残り2か月、がんばれたかな( ^ω^)・・・懐かしいですね。

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そうそう忘れてました。この旅には人質として「ちゃーぼーも旅に出たい!」と言った当時4歳のちゃーちゃんも連れて行きました。


 

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